摘要:歯と顎骨の大きさの不調和(discrepancy)の成立過程とその病因性を明らかにするため,著者らはすでに,主として東日本の各地から出土した後•晩期縄文時代,古墳時代,鎌倉時代,室町時代および江戸時代の古人骨について,顎顔面形態の変化,discrepancy の頻度および程度,不正咬合の発現頻度や歯科疾患の分布状況などについて調査を進めてきた(HANIHARA et al.,1981,INOUE et al.,1981A,B and C,1982Aand B, ITo et al.,1982,KAMEGAI et al.,1982,SHINO et al.,1982,KURAGANO etal.,1983)。そして,これらの所見からこの現象が,人類進化の過程における歯および顎骨の縮小の不均衡によって起こったものであろうということ,および不正咬合,齲蝕,歯周病などに対して病因論的に重要な意味を持つということがほぼ確かであると考えている。しかし,これまでの調査では,早•前期縄文時代,弥生時代の資料はなく,また古墳時代の資料はきわめて少なく,このため,これらの形質や疾病像の推移の連続性には問題が残されていた。その後,九州大学第二解剖学教室および長崎大学第二解剖学教室の古人骨標本を用いて,かねて疑問としていたこの部分について調査する機会を得たので,ここでは,西日本出土の早•前期縄文時代,後•晩期縄文時代,弥生時代および古墳時代における,とくに不正咬合とその要因の頻度について報告し,すでに得られている東日本出土古人骨による調査結果と対比して考察した。総資料数は,九州大学および長崎大学のものを合わせて324体であったが,不正咬合の調査にはこれらのうち,保存状態が良く,とくに上下顎が揃っていて,紛失歯も少なく,咬合状態の再現が可能であったもの,早•前期縄文時代9体,後•晩期縄文時代34体,弥生時代125体,古墳時代50体,合計218体を用いた。不正咬合の分布は,早•前期縄1文時代22.2%,後•晩期縄文時代20.6%,弥生時代49.8%,古墳時代36.0%であった。不正要因のうち, discrepancy のあるものの分布は,それぞれ,0%,17.6%,16.8%および24.0%で,骨格型に関する要因は,22.2%,2.9%,28.0%および8.0%であった。不正咬合の頻度は,後•晩期縄文時代には東日本(20.0%)と差がないが,弥生時代には一時的にかなり増加し,古墳時代には再び減少して東日本(45.5%)よりも低い値を示している。 Discrepancy の頻度は,早•前期縄文時代には0%であったが,後•晩期縄文時代には東日本(8.9%)よりも高く,弥生時代には一時低下するがその後増加して,さきに報告した鎌倉時代以降の推移と合流するもののように思われる。一方,弥生時代においては骨格型要因の頻度がきわめて高く,不正咬合のなかでも反対咬合が異常に高率を示していたことから,この時代には骨格,とくに下顎が大きかったと考えられる。その理由としては,顔の型の異なる異民族の流入という可能性が大きいが,本研究の結果のみからは結論づけ難い。また,同様な傾向は東日本においては古墳時代に,もう少し弱い形で現われていることはきわめて興味深い点と思われた。