食品や化粧品などは多種類の芳香物質を含み,香りはそれらの品質の重要な要素である[1-3].香りの放出は,芳香物質を溶解した溶液と気相の2相系のモデルで説明されてきた[6].芳香物質を含む溶液と平衡化された気相中での濃度は,溶液中での活量で記述され,溶媒,共存する溶質,芳香物質の間の相互作用の影響を受ける[7].脂溶性芳香物質の放出は,溶液中の油脂により抑制され,その挙動はオクタノール水系における分配係数により説明できることが報告されている[8].また,溶液のイオン強度も芳香物質の放出に影響を与える因子であり,塩溶や塩析効果が報告されている[10, 11].溶媒のpHや共存するタンパク質などの溶質との化学反応なども影響を及ぼす[1].
界面活性剤水溶液では,臨界ミセル濃度(CMC)以上で脂溶性領域を有するミセルが出現し,ミセルは芳香物質の分配に影響を与える.そこで,本研究では平衡条件下で界面活性剤などの濃度が芳香物質の気相への分配に及ぼす影響を検討した.芳香物質として酢酸エチル,ゲラニオール,2-フェニルエタノールを用いた.表1に使用した芳香物質の親水性と疎水性のバランスを表す指標を示した.界面活性剤としてドデシル硫酸ナトリウム塩(SDS),ポリグリセリンモノラウレート(PGML),オブアルブミンを用いた.
まず,一定量の芳香物質を含む,様々な濃度の界面活性剤水溶液を調製して蓋付バイアル瓶に封入し,40℃で撹拌しながら20分間保温した.溶液の上の気相中の芳香物質を固相マイクロ抽出法により分取し,ガスクロマトグラフィを用いて定量した.芳香物質の濃度が同じで界面活性剤を含まない対照溶液について同様に測定した値に対する比を正規化濃度として評価した(Fig. 1).3種類の界面活性剤において,CMC以下では正規化濃度はほとんど1に近い値を示したが,CMC以上では界面活性剤濃度の増加に応じて減少した.ただし,オブアルブミンを界面活性剤として用いて2-フェニルエタノールの分配を測定した場合のみ,オブアルブミンの濃度の増加に応じて2-フェニルエタノールの正規化濃度が上昇した.また,CMC以上の濃度領域で,ミセルとミセル以外の界面活性剤水溶液との間の分配係数 D mwを用いた界面活性剤濃度に対する正規化濃度を関連付ける式を導出し,実測値から D mwを推算したところ,この値を用いた計算線が実験結果をよく表した(Fig. 1).
CMC以上で気相中の芳香物質の濃度が低下したことから,ミセルの親水部と疎水部の影響を個別に検討した.まず,PGMLの親水基に相当するポリグリセロール水溶液がゲラニオールの正規化濃度に及ぼす影響を検討したところ(Fig. 2),PGMLより高濃度ではあったが,PGMLと同様に濃度に依存して正規化濃度が減少する傾向が認められた.
次に,PGMLとドデカンまたはトリカプリリン(C8TG)を含むエマルションを用い,これらの油脂がゲラニオールの正規化濃度に及ぼす影響を検討した(Figs. 3,4).ドデカンを含むエマルションは,ドデカンを含まない界面活性剤水溶液と比較して,ゲラニオールの気相中への分配にほとんど影響を及ぼさなかった.C8TGのエマルションでは,界面活性剤濃度の低下に伴い,油脂を含まない溶液と比較して正規化濃度がやや減少した.なお,高濃度の界面活性剤を用いた場合に可溶化が生じたが,正規化濃度の変化に影響はみられなかった(Fig. 5).
本研究で用いた芳香物質はCMC以上で気相中への分配が減少するものの,疎水性核の増加を意図したドデカンを加えても相対的に疎水性の高いゲラニオールの正規化濃度にほとんど影響がなかったことから,ミセル中の疎水性領域が単独で分配に及ぼす影響は少ないと思われる.また,エステル基によりやや極性をもつC8TGでは多少の影響が認められ,極性基の存在が重要であることが示唆された.さらに,ポリグリセロール水溶液では高濃度で正規化濃度の減少がみられた.また,ミセルへの分配はドデカンへの分配と比較して明確に大きい値を示したが,それらの間には相関関係がみられた(Fig. 6).これらの結果から,ゲラニオールが主としてミセルの疎水部と親水部の両方に接する領域に分配することが示唆された.
以上のように,SDS,PGML,オブアルブミンの水溶液の芳香物質保持能を,酢酸エチル,2-フェニルエタノール,ゲラニオールについて検討した.オブアルブミンと2-フェニルエタノールの組み合わせ以外では,界面活性剤のCMC以上で芳香物質の正規化濃度が減少した.これらの結果は,ミセルとミセル以外の界面活性剤水溶液との間の分配係数 D mwによりよく表現できた.ドデカンやC8TG,ポリグリセロールを用いた検討に基づき,芳香物質のミセル中への分配を考察した.