本稿で取り扱う概念である<敗北条件>(nigrahasthana)は,討論の当事者たちがその討論において敗北に至ると判断するための条件集である.ダルマキールティ(Dharmakirti)はVadanyayaにおいてNyayasutra, Nyayabhasya, Nyayavarttikaに示されるニヤーヤ学派による従来の<敗北条件>の定義を批判しつつ,仏教論理学の学説に基づく新しい<敗北条件>の定義を提示した.ダルマキールティ以降のニヤーヤ学派の論師達によるVadanyaya学説の批判・受容に関する研究は未だ乏しい。特に,後代のニヤーヤ学派の論師のうち,バッタ・ジャヤンタ(Bhatta Jayanta)のNyayamanjariによるVadanyayaの学説の批判と受容の仕方は注目に値するものがある.筆者は,先行する拙稿において,ダルマキールティが正しいと認めるニヤーヤ学派の<敗北条件>とダルマキールティ自身の<敗北条件>の定義との対応関係を示したうえで,ジャヤンタがasadhanangavacana(立論者にとっての敗北条件)とadosodbhavana(対論者にとっての敗北条件)というダルマキールティが示した概念を<無理解>(apratipatti)と<誤解>(vipratipatti)というニヤーヤ学派の概念に還元し,かつ,ニヤーヤ学派の<敗北条件>のうちダルマキールティが正しいと認める見解を歓迎する形で自説に換骨奪胎したことを明らかにした.本稿では,これらの先行研究を基礎に,ジャヤンタがNyayamanjariにおいてダルマキールティへの明示的批判を展開した箇所を検討する.ダルマキールティは,ニヤーヤ学派の22種類の<敗北条件>のうち,17項目については真正の<敗北条件>であるとは認めていない.紙面の都合もあるため,この17項目のうち,とくに第1番目の項目である<主張命題の断念>(pratijnahani)に焦点を当てて,両者の思想的差違を明らかにした.