第二次世界大戦前には, 日本で新しい大学が創設されるには, 文部省が認可を与えていた. しかし, 戦後新しい大学制度が確立されるにあたり, GHQの民間情報教育局 (CIE) 教育課に1946年から48年まで, アドバイザーとして来日したルル・ホームズは, 全国的な日本の大学基準協会を創出した.協会は一定の大学設置基準を設定し, 設置基準にきちんとかなっている場合には女子大学であろうと何であろうと, 文部省はその学校に認可を与えざるを得ないというものである. ホームズは, 女子大学を含めてどのような大学であっても, 文部省が公正に判断を下し, 公平に認定する方策を作りあげた. その後, 文部省の許諾を得, 女性にも男性と同等で, 平等な高等教育を企図する日本の新制国立大学制度が, 1949年4月に始まった. 第二次世界大戦直後, 戦後の教育改革の結果として, 1948年に新制女子大学と家政学部が創設された. この一連の論文の目的は, 日本女性の高等教育を推進する上で画期的かつ歴史的に重要な成果を遂げた, ホームズの業績を明確かつ明細に跡づけることである. この歴史的分析は, 主に米国で公開された公文書, ホームズの口述史, ジョセフ・トレイナーの回顧録, ボームズの業績にかかわった人々に対する面接調査に基づいている.