食品加工分野ではバイオプロセスを利用することがしばしばあるが, そのバイオプロセスは代謝反応によって支配されている.また, 代謝反応には様々なイオン解離性代謝物質が関与しており, それらはきわめて重要な役割を果たしている.そして, イオン解離性代謝物質のイオン解離状態や分子構造は代謝反応場のpHに大きく依存するとともに, pHは生体内において空間的および時間的に変化している.さらに, イオン解離性代謝物質の挙動を把握するためには, 混合液中における各イオン解離成分を計測する必要があり, pHを考慮したこれらイオン解離性代謝物質の同時定量法の構築が重要となる.このような特徴を有するイオン解離性代謝物質の計測には, 中赤外分光法が有効と考えられる.そこでわれわれは, FT-IR/ATR (Fourier transform infrared spectrometer equipped with attenuated total reflection accessory) 法により取得した糖リン酸やアデノシンリン酸などのイオン解離性代謝物質の各水溶液スペクトルのpH依存性を解析し, 各イオン解離成分の中赤外分光スペクトルの抽出方法を提示した (Nakanishi et al., 2003) .さらに, われわれは, イオン解離性代謝物質の混合溶液の中赤外分光スペクトルのpH依存性を解析し, 各イオン解離性代謝物質間の相互作用を考慮したイオン解離成分の中赤外分光スペクトルの抽出方法を提示するとともに, その混合溶液中のpHおよびpHに基づいた各成分の定量手法を確立した (Pan et al ., 2003) .ところで, FT-IR/ATR法を用いた代謝反応過程のモニタリングなどを想定した場合, 対象とする反応系には複数成分が含まれているため, Panらが提示した各成分間相互作用を考慮したイオン解離成分の中赤外分光スペクトル抽出方法 (抽出方法1) が好ましいと考えられる.しかし, このスペクトル抽出方法は, 対象とする反応系ごとにイオン解離成分スペクトルを抽出しなくてはならず, また反応系が多成分になるとその過程は煩雑になる.一方, Nakanishiらが提示したイオン解離成分の中赤外分光スペクトル抽出方法 (抽出方法2) は比較的容易ではあるが, イオン解離性代謝物質ごとの水溶液のpH依存性に基づいてスペクトルが抽出されるため, 各成分間の相互作用が考慮されておらず, 代謝反応系などの複雑系への適用には検討すべき点が残されている.一方, 実際の食品や農産物中には, 計測対象とする成分以外にも未知の成分が多数含まれている.そこで本研究では, 未知成分が含まれている反応系において既知のイオン解離性代謝物質のみに着目し, そのイオン解離成分スペクトルの抽出を試みた (抽出方法3) .そして, 各抽出方法によって得られたイオン解離成分の中赤外分光スペクトルを比較し, それらの中赤外分光スペクトルを用いることによりイオン解離性代謝物質の混合溶液中のpHおよび各濃度の定量を行い, 定量結果に及ぼすスペクトル抽出方法の影響について研究した. 本研究においては, 解糖系の入り口にあたる異性化反応系に着目し, 基質となるグルコース6リン酸 (G6P) , 反応生成物なるフルクトース6リン酸 (F6P) , 溶媒となるTris緩衝液を使用した.抽出方法1に関しては, Panらの結果を用いることとし, 抽出方法2に関しては, 各水溶液スペクトルのpH依存性を検討し, Nakanishiらの方法に従って新たに各解離成分スペクトルの抽出を行った.また, 抽出方法3では, Tris緩衝液を未知成分とみなし, G6P-F6P-Tris混合溶液中からTrisスペクトルをバックグラウンドとして差し引き, G6PとF6Pのイオン解離性分スペクトルの抽出を行った.実験には, これまでの研究と同様にMagna 750 FT-IR (Nicolet Instrument Corp.) とIRE (internal reflection element) がダイヤモンド製のATRアクセサリー (Applied System, Dura Sample IR) を用いた.また, 298Kにおいてスペクトルを取得し, 測定範囲は4000から800cm-1, 分解能は4cm-1とした.